みんな違って、みんな同じだ。
DAY 5/497
・むかついたときは顔の筋肉を笑顔の位置に動かす
・何かイレギュラーが起きたときは、楽しいことをする
結局昨日は風呂から出て、自分の機嫌が普通に戻っていたので、別室に移動することもなく、至って普通に旦那さんとも話していた。
旦那さんもほろ酔いでご機嫌だったので、改めて話を最後まで聞けという話などをして、普通に聞いてはくれたがなんせほろ酔いなので本当に届いているのか分からず、もやもやしたまま寝室へ行った。
ただ今までと違ったのは、今まではもやもやしたままでは寝つけなかった。
感情が高ぶり、時には激怒しすぎて布団を飛び出し、まだ旦那さんがいるリビングへ戻ってブチブチ言うこともあった。
でも昨日はとても眠かった。
まったくもやもやすんなぁ、とか思いながら、いつの間にか寝ていた。
自分の中で、何かが少しずつ変わっているのが分かる。
ブログを書くと、頭や心の中のものが吐き出せるし、整理される。
気持ちを上手にリセットできる術なのかもしれない。
さて、今日は、また身につけたいものを見つけてしまった。
「相手との適切な距離感を見極めてよしなにやる」スキルがほしい。
わたしは単純なので、今まで義両親のことを、200%「いい人」だと思っていた。
お邪魔しても、あれやれこれやれ言わないし、旦那さんと息子と昼寝で爆睡しても大丈夫、多少突拍子もない発言をしても楽しんでもらえる。
毎回帰省するのをとても楽しみにするほど、本当にいい方々だと思っていた。
勿論、今も、いい方々だと思っていることに変わりはない。
ただ、わたしには抜け落ちていた視点がある。
「相手も別の価値観を持ったひとりの人間だ」ということだ。
わたしは、義両親があまりにも良くしてくださるために、甘えすぎてしまった。
旦那さんが手に負えないときは、なんとか言ってもらおうとしたし、聞いてくださいなんて、励ましてもらおうとしたり。
だが、相手は旦那さんのご両親だ。
いくら中立に物事を見てくださる方とは言え、息子は死ぬほどかわいいに決まっている。
息子を持つ今、その気持ちも痛いほど分かる。
わたしは、頼りすぎてしまった。
息子さんのこういうところ、お母様ならご理解いただけるでしょ?分かるでしょ?はぁ、大変なんです、助けてくださいって、言いすぎてしまったのだ。
やってしまった。
わたしは、あまりによくしてくださるから、勘違いしたのだ。
そしてこれは、旦那さんに対しても同じことが言える。
息子が生まれて間もない頃、抱っこしていないと息が止まりそうなほど泣く息子を1日中抱っこしていた。
わたしは心も体も疲れきり、家事も炊事も、息子をお風呂に入れることすらできなかった。
それを、代わりに全部やってくれたのは、仕事帰りの旦那さんだ。
今思うと、信じられないほど動いてくれた。
ただわたしは、それで勘違いした気がするのだ。
旦那さんは、頼ったらやってくれる、頼っていい。
絶対に不正解だとは言わないが、行きすぎた。
旦那さんが、わたしの想定にそぐわない動きをすると、ピリッときた。
わたしには、こういうところがある。
節操がない、と表現したらいいのだろうか。
疲れたら、代わってもらうのが当たり前。
代わってもらっておいて、わたしだったらこうするのに、そうしないのはおかしい。
だとしたら、わたしの役割は、わたしが産むと育てると決めて背負った役割は何なのだろう?
そして、わたしと異なる人間が一緒に育てる意味は?
そういうことに、最近になってやっと気づき始めたのだ。
まぁ、最初の頼りきりだった頃は、正直わたしもギリギリで生きていたし、自分を責めるつもりもないし、旦那さんには感謝と尊敬しかない。
その後だ。頼りきりに慣れすぎてしまった。
つまり、こう思った。
誰が相手でも、甘えてべったりは良くない。
おかあさぁん、助けてくださぁい泣
旦那くん、どうしてこうしてくれないの?!
これらは、良くないのだ。
親しき仲にも礼儀あり。
これは、もしかしたら、相手との距離感についても言及しているのかもしれない。
みんな、誰もが、自分とは違う立場に立つ、違う価値観を持つ、違う人間。
でも、いろんな感情を持つ、つながり合いたいと思う、同じ人間だ。
思いやって、押しつけず、飲み込んで、まぁるく伝えて、そういうことを、今後できるようにしていきたい。
この目標に対する具体的行動は、ぱっとは思いつかない。
というより、なりたい自分を一歩ずつ目指していけば、この目標にもおのずと近づいていく、そういう位置付けの目標だと思う。
なので、足跡として残し、また踏み出していこう。