あの子がわたしに残したもの
ブログを2年近く放置してしまった。
その間にたくさんのことがあった。
子どもが生まれ、1歳になった。
心のケアや振り返りのために開設したこのブログだが、今後もまた再開できると嬉しい。
子育てしながらというのは何をするにも難しいが、残しておきたいことはたくさんあるのだ。
早速、今日考えたことを記録したい。
このような文章を書き連ねるくらいなのであまりにも明確なことかもしれないが、わたしはよく考えすぎる。
それも、思考をしすぎる、というわけではなく、どんどん深みにはまっていく。
ひとつの問題が生じると、そもそも、大体、とか脳みそが勝手に話し始めて、ただのひとつの問題が宇宙空間のように広がって収集がつかなくなる。
そして、あーもうこんなぐちゃぐちゃな感情になってしまって、こんな嫁をもらった旦那さんは、旦那さんのご両親は、さぞかし不満だろう、もっとぱりっとした爽やかな人間だったらよかった。なんて思いながら、ふいに旦那さんによしよしと優しくしてもらえるとぜーんぶ吹き飛ぶ。
考え過ぎた時間って、何だったんだろうな…
そんなことばかりなのだが、ふと、ある友人のことを思い出した。
彼女は、受験時代を共に戦い抜き、いつも聡明で、優しい子だ。
どれだけ聡明かというと、日本で一番頭のいい大学へ進学したくらいで、どれだけ優しいかというと、わたしが受験勉強がうまくいかず発狂して教室を飛び出した後を追いかけてきて、泣きながら自分を貶めるめんどくさい女を極めたわたしに「そんなことない!」と強く言って、落ち着くまでそばにいてくれるくらいである。
そんな彼女が、大学入学の翌月に突然死した。
あまりにも唐突で、電話越しの友人の震える声を音楽スタジオで聞きながら「???」状態であった。
彼女の自宅で、たくさんのお花の中で手を組んで眠る彼女を見て、あっ泣かないと、と思い無理やり泣いた。
それほどに、全部現実味がなかった。
正直、8年?9年?経った今もまだない。
わたしの向かいに座り、インドカレーを食べながらケタケタ笑う彼女は、今もわたしの記憶のすぐそこにある。
昨日、激しく消耗しきってしまったわたしは、「消えたい」「明日なんて来なくていい」と思ってしまった。
わたしに味方は1人もいない、旦那さんだって、家族だって、みんなわたしを理解してくれない。
息子だって、こんな母親に育てられたらしあわせになれない。
ずっとそんなだった。ほんとに。
しかしそういうときは、いつも彼女を思い出す。
どんなことを思ってもいい、でも思うだけにとどめて、絶対に命だけは投げ出しちゃだめだ。
彼女のためではない。
でも彼女は、絶対に明日を生きたかったはずだから。
そんな子が、当たり前のように突然いなくなってしまう。
わたしも、いつ突然いなくなってしまってもおかしくないのだ。
1日を、生きて乗り切ったことは本当に奇跡だ。
しかも、すでに28年間も乗り切っている。
しかもしかも、旦那さんと息子も、一緒に乗り切っている。
これがどんなにすごい当たり前なのかを、わたしはいつも忘れている。
ひとりの人間を育てているのだもの、つらいことなんてきっとめちゃくちゃ、想像を絶するくらいある。
なんなら、息子が大きくなってきて、つらい思いをしているのを、ただ見守らないといけないなんていう日が絶対にくる。
でも、そういう日が来たことに感謝しないといけない。
そして、毎日、ただ生きている、それだけでいい、それだけあれば、もういいんだよ。
それでも感情というものはなかなか折り合いがつかないもので、でもそれはつけなくていい。
旦那さんに抱きしめてもらうと、全部吹っ飛ぶことが分かったからだ。
だから、全力で生きよう。
でも、悲しいことは、悲しいだけ。
つらいことは、つらいだけ。
それ以上でもそれ以下でもなく、他に何も追及しなくていい。
これを、覚えておきたい。
来月はあの子の命日がある。
今年は新型コロナが猛威をふるっているため、会いにいくことができない。
でも、来年はきっと行くから。
あなたがいなくなってから、あなたが何回わたしを助けてくれたのか、話すから聞いてね。