もすもす日和

思ったことを思ったままに綴るだけのブログ。

普通の日

DAY 3/497


・むかついたときは顔の筋肉を笑顔の位置に動かす

・何かイレギュラーが起きたときは、楽しいことをする


いつも分かりにくくなるので最初に目標を書いておくことにした。

今日は驚くほど平穏だった。

旦那さんにむかついたこと…1回くらいなんかあったような気もするが今ぱっと思い浮かばない。

育児はいつも通り大変だったが、いつも通りである。

強いて言うなら、夜ごはんの段取りが狂って大変だった上に料理の出来が悪かったが、なんか自分でもウケただけで特に何もなかった。

最近息子の寝つきがめちゃくちゃ悪くて苦労するのだが、悪いと言っても最終的に20:30頃には寝てくれるので、理想的ではないにしてもそんな悲観するような事態ではない。


こんな日もあるのだなぁ。

本当に何もなかったのか、はたまたわたしの諸々の沸点が3日目にして下がったか?それはないか。

また明日は違う日になる。

今日は今日という一歩として、ゆっくり休もう。

生活スタイルが潔癖

DAY 2/497


結局昨日は旦那さんは起きてきていて、いつも通り食器を洗いキッチンを掃除していた。

さすがだ。頭が上がらない。

わたしも寝落ちさせてくれって言おうなんて考え損であった。

というか、旦那さんがどうだからとか関係なく、そうしたいときはそうお願いしたらいい。

昨日は目標行動は達成できたが、自分と同じ努力を相手に求める、相手と同じ楽さを自分にも求める、という悪い癖が出た。

うーん。

うーーん、なんというか、わたしは人に対する決めつけがすごい。

昨日は、旦那さんはどうせただ睡魔に勝てなくて寝て、いつも洗ってくれる食器も洗わないで寝て、でもいつも仕事頑張ってるんだからこれくらい許してくれって言うんだろうな、イライラするわたしが咎められるんだろうなと考えてすごく腹が立った。

想像で腹を立てていたのだから、本当に損な性格だなと思う。


旦那さん寝ちゃった。

起こしても、まだ寝るって言ってる。

疲れてるんだな〜。

そしてこの後に続く、「わたしだって疲れているのに」←この「のに」が問題なのだろう。


「のに」を使わないで続けてみよう。

でもわたしも疲れてるし〜。

いつも洗ってもらってる食器、洗いたくないし〜。

でも洗わないと、明日の朝わたしが朝ごはんの準備するんだから、朝から溜まった食器洗うの超やだ〜〜。


うーん。

まぁ昨日はここからなんとか、「ま、今日は早めに風呂出て、音楽聞きながら流れでやればいっか。旦那さん寝てるってことは、テレビもつかないし、静かな夜が過ごせる♡」まで自分の気持ちを持ってこれたので良かったと思う。

昨日はたまたま変換できたんだが、こういうときにいつも変換できると楽しい。


昨日の例だと、「食器洗い嫌すぎる」を、「好きな音楽が聞ける」で上書きできたのが良かったのだと思う。


うーん。

でもそもそも、果たして食器洗いがなかったら、寝落ちした旦那さんに腹は立たないんだろうか。


たぶん、「自分が寝たいタイミングで寝られる」旦那さんに腹が立っているので、食器洗いは火に油を注ぐ要因でしかない気がする。

しかし、寝落ちしている旦那さんに、「起きる?寝とく?」と聞く、旦那さんを気遣う自分もいることは確かだ。

まぁ、「起きる」って言うことを期待している自分がいることも確かだ。


つまり、旦那さんに、「嫁がいろいろ我慢して大変なんだから俺も寝ていられないぜ」を期待しているだけだ。

それは同時に、自分が日々、「わたししんどいけど、旦那さんのために踏ん張らなきゃ」となっていることを表す。

おめーはどうしてわたしのために無理して頑張らなきゃってならねえんだと言っているのだ。

自分が無理しているから。


いやーただこれは難しい問題な気がする。

子育てが関わっているからだ。

子どもに合わせるんだから、100無理しないことはあり得ない。

出た100…わたしはまた、少しでも無理することで「100無理しない」が達成されないことで腹を立てているのだ。

これだ。原因にたどり着いた。


つまり自分にとっての正解はこうだ。

「旦那さんが寝てしまった。

食器洗わないと。嫌だなぁ。

音楽聞きながらやろ。」


これができないということは、「嫌だなぁ」がラスボスみたいにのしかかっているということだ。

「やることが少しでも増えて寝る時間が少しでも遅くなると明日に響く、しかも子どもの起きる時間が毎日違うので想定よりもっと寝られないかもしれない。明日なんて来なければいい。」である。

すごい。

我ながら些細な変化に打たれ弱すぎる。

書き出してみると本当に驚きだ。


わたしは本当に潔癖だ。

毎日を快適に過ごしたい、そのために1ミリも狂わずに過ごしたい。

夜は7時間は寝たい。

3食同じ時間にごはんを食べたい。

まぁわかる。

わかるが、1日、旦那さんが早く寝てしまっただけで、そんな絶望しなくても…


「今日はそういう日か〜」くらいに思えないと、この先何十年も生きていけない。

わたしの背中を見て育つ子どもが、日々の変化に打たれ弱くなってしまう。

非常にまずい。それは嫌だ。


「むかついたときは顔の筋肉を笑顔の位置に動かす」

これに目標を追加しよう。

「何かイレギュラーが起きたときは、楽しいことをする」

もっと具体的にしたいが、イレギュラーがイレギュラーなので「楽しいこと」が限界だ。

何か発見したらまた詰めることにしよう。


ブログを書くのは楽しい。

そういえば今日も笑顔の目標に関しては及第点だと思う。

ぎこちない笑顔でスルーするので、1度旦那さんが「は?さっきからなんだよそれ」とキレていたが、それも笑顔でスルーしていたら、普通に戻っていた。

それでいいのだと思う。

キレてたのも正直、え〜さっきからの自分には何とも思わないのかよ〜と思って見てしまったし、上出来である。

旦那さんがとんだ気分屋で、甘やかされたがりなのは、今に始まった事ではない。

そして呼吸するように嫌味を言うし、機嫌が悪いってだけで重箱の隅をつつく姑のようになる。

(本当の姑はとても優しく思いやりのある人でわたしは本当に恵まれている。)

言い返したら言い返したでキレるくせに、ほんとわがままである。

自分で自分の機嫌がとれた、それだけで十分すぎるくらいだ。


あとここでは旦那さんむかつくとしか書いていないが、旦那さんはいいところがたくさんある。

人一倍強い覚悟で家族を背負っている。

そんなところまで?みたいなところまでよく気が回ってとても助かる。

大型犬みたいな癒し効果がある。

わたしが本当にトチ狂ったときは、全力でなだめてくれる。

いつか、わたしの旦那さんのいいところをたくさん書き連ねた投稿もしようと思う。

いまは自分のことで手一杯なので、もう少し先のことになりそうだが、書けるくらいの余裕がある日が来るといいなと願っている。

いい感じのスタート

DAY 1/497


昨日目標を決めたので、今日から30歳まで、その目標に対する日々の記録をしていこうと思う。

30歳まで今日を含めて497日、今日はその1日目だ。


「むかついたら表情筋を笑顔のところに動かす」という目標に向けての具体的行動だが、結果的によくできたと思う。

今日やってみて分かったことだが、1日にそういう瞬間は何回もある。

具体的に何があったのかまで記録しようと思っていたのに、覚えていられないほど、何度も意図的に笑顔を作った。

そしてそれは大体旦那さんに対してである。

というより、今日常的に接している人間なんてほぼ家族なので、自然にそうなる。

もうひとつ気づいたことは、旦那さんが、めちゃくちゃ不機嫌を撒き散らすタイプということだ。

何にも考えていなかったわたしは、今までずっと引きずられていたのだろう。

言葉遣いは荒いし、相手に聞こえるように文句を言うし、けっこう不快である。

非常にむかつくので、今までは全部態度をおうむ返ししていたが、わたしはもう同じ土俵に立たないと決めたので、今日は平穏に過ぎていった。


正直、いま旦那さんは息子と一緒に寝てしまっているのだが、朝はわたしより遅く起きて、息子と一緒に風呂に入り、先に寝落ちされるというのはとても腹が立つ。

息子がママがいいとあまりにもぐずるので夜ご飯作りを代わってもらったが、その間わたしがフリーだったわけでもない。

息子と料理、どっちを担当したって大変なのである。

このまま旦那さんが自力で起きてこずに本腰入れて寝るようであれば、わたしは明日の午前中は好きに過ごさせてもらおうと思う。

旦那さんにとっては休日かもしれないが、わたしは毎日平日なのだ。平日というか、出勤日。


そう、とにかく、わたしは旦那さんがすごくむかつくということが分かった。

いや、分かりきっていたことなんだが、旦那さんは旦那さんなりにいろいろ頑張ってくれていることがよく分かっているので、それでむかつくのはお門違い、文句を言うのはもっとお門違いだなんて思って、爆発するたびに自己嫌悪に陥っていたが、旦那さんが実際どうとかどうでもよくて、ただシンプルに、非常にむかつくという事実がある。

それだけだ。

むかつくってことを認めていいし、むかついていることに関して自分を責めなくていい。 

本当にむかつく。

今までやり返していた自分の気持ち、よく分かる。

大変だったなぁ、よしよし。


ただ、今日むかつくたびに笑顔で過ごしたら、めっちゃ清々しかった。

優越感があった。

わたしは、あなたとは違いマース。という感じがあった。

そして、そこで終わるので、何もこじれることもなくすべてが過ぎ去って行った。


ただ、まだ納得していない自分がいるのも確かだ。

自分がうまくできたところで、おまえも当たり散らすのやめろよ、不快だわ〜と思ってしまっている自分がいる。

「わたしが努力しているんだから、あなたも努力しろ」というやつである。

うーん。

やっぱり人間の内面は一朝一夕では変わらない。そりゃそうだ。


さあ、お姉さんだったら、なんて言うかな。

「べつにまわりなんてどうでもいいじゃない、あなたがなりたい自分になる、ただそれだけよ。」って言うかな。

わたしが努力しているからって相手にも努力を求める人間になりたいか?

答えは否である。

なんなら、まわりが頑張ってない中でこそこそ頑張って出し抜く方が気持ちいいに決まってる。

というのは不純だが、まぁ今はまだこれくらいは自分を許してあげよう。


ということで、今日はいい感じだ。

旦那さんが起きなかったら、明日、わたし昨日頑張ったから午前中フリータイムがいいな、よろしくね♡と言おう。

息子を風呂に入れるっつったって、旦那さんが先に入っている間はわたしが息子を見て、旦那さんに呼ばれてから息子を連れて行き、旦那さんが息子を洗い終わって一緒に浸かり終わったらまた呼ばれて、呼ばれるまでは息子が風呂から出た後のための準備や身の回りの片づけをし、その後の手入れや着替えはわたしが担当し、その間旦那さんは自分の髪を乾かすっていう、完全に旦那さんが楽なやつなので、それで一緒に寝落ちするなんてほんと、代わってほしいくらいだ。


その感情を、おめえ楽しやがってふざけんなではなく、昨日はお疲れだったんだね、お疲れ様。たくさん休めた?わたしも少し休みたいから、午前中フリータイムがほしいなと言おう。

急に言われても嫌だと言われる可能性もあるが、睡魔に任せて急に寝た相手に言われたくない。

わたしだって本当は息子と一緒に風呂に入って寝落ちしたい。

あっ

じゃあ午前中フリータイムくれではなく、明日は私の番ね、ということにしよう。

風呂からの流れを交代してもらおう。

食器だけそこそこ洗っておこう。

思いのままに書くことで、急に本音が出てきたりするのだなぁ。

わたしは、なんとなく「休みたい」のではなくて、「息子と風呂に入って世話もしないでそのまま寝落ちしたい」のだ。


よーし、これで今日は胸のもやもやが晴れた気がする。

好きにやって寝よう。

自分、おつかれさま〜!

30歳までの目標

昨夜、わたしはとてつもなく荒ぶっていた。
最近の何もかもが嫌になってしまって、自分のことが嫌になってしまって、旦那さんに「わたしはいらない人間だ」「存在しなきゃよかった」と散々わめき散らしていた。

しかしこれは、構ってほしいから言っているのではなく、本心だ。
落ち着いた今でも、自分のことは嫌いだし、存在が迷惑だなぁと思っている。

最近の自分は本当に見ていられないほど醜い。
特に新型コロナが蔓延してからは、身近な人たちにまでどうして自分と同じ行動をしないのだと当たり散らして当たり散らして、ああわたしは理解されないなんて、悲劇のヒロインにも失礼なほど感情を晒しまくっていた。
旦那さんにもまわりの人にも100を求め、少しでも足りないところは責めて詰めて、わたし変なこと言ってる?となっていた。
たぶん、変なことは言っていないんだろうが、問題はそこではない。
自分の想像から1ミリもずれずに他人が動かないと満足しないところだ。
いつからだ?いつからそんなんになってしまったのだろう。
たぶん、もともとそういうところはあったんだと思うが、いまはもう誰もかばいきれないほどに突出している。
子育てが始まってからだとは思うが、たぶんホルモンバランスのせいでも、子どもがどうこうという話でもないんだと思う。
子どもを守る意識が強くなって旦那さんに当たっていたその振る舞いが、いつからか日常化してしまったのだと思う。
そしてそれは、きっと旦那さんが、わたしの厳しい要望に全力で応えてくれた結果だ。
わたしは完全に恩を仇で返しているのだ。
それも、旦那さんにだけでなく、自分に関わる人全員に。

どうしたらいいんだろう、なんてぼんやり思うが、もうなーんにも思い浮かばない。
どんな本を読んでも、自分に言い聞かせても、何にも変わらない。
少なくとも、変わらないということは、仕入れた知識を正しく活用できていないんだと考えた。

そういえば今までわたしが読んできた本には、「自分なんて」って思うと、本当にそういう感じになっちゃうよ、とか、できるって思い続けたら、本当にできちゃって、そういうことを繰り返しながら、人生どんどんハッピーになるよ、みたいなことが書いてあった。
また、別の本には、「自分はそのままでいい」とも書いてあった。
たぶん、どちらも言いたいことは同じで、自分が自分であることにただ集中しろ、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、そういうことを言っているのだと思う。

わたしはそれらを読んで、「わたしってほんと良くないな」と思ったときに、「でもそれがわたしだから!良くないなとか思わなくていいから!思ったらそうなっちゃうから!わたしはわたし!このままでオッケー!」と、思考を修正していた。
たぶんこれが間違っているんじゃないかな、と感じている。

最初の方に、「わたしはいらない人間だ」「存在しなきゃよかった」と思っていることを書いたと思うが、まずはそれでいいんじゃないかと思う。
「そんなこと思ったらうんたら!自分を認めて愛してあげなきゃかんたら!」というのが今までの自分だが、それこそ、本当の自分から目をそらしまくっているんじゃないか?

うーん。
正直、自分は本当にどうあがいても素敵ではない。
わたしが他人だったら、自分に近寄りたくない。
ピリピリイライラ、せま〜い心が伝染してしまいそうだ。
そんな自分が嫌いだ。
これまでの自分を全部白紙にしてしまいたい。
本当に存在が迷惑、人の感情を害するテロリストのようだ。
うん、書いていても何にも違和感を持たない。

ところで、わたしがなりたい人間ってどんなだっけ?
そう考えるとき、いつでも思い出す人がいる。
大学の卒業旅行で行ったバリ島、そこで滞在したホテルのフロントのお姉さんである。

ホテルを出発するとき、わたしは自分の部屋のカードキーを部屋に置きっぱなしで出てきてしまったことに気がついた。
そのことを慌ててお姉さんに伝えた。

お姉さんは全く急いでいなかった。
わたしは、もうすぐ迎えのバスが来てしまう、みんなを待たせて迷惑をかけてしまう、ということで頭がいっぱい、もうピリつき極まれりという感じだったので、始めの方はお姉さんを見て「もっと急げよフロントだろ仕事だろいい加減にしろ」なんて思っていた。

しかし、そう思いながらお姉さんを見ていると、あることに気づく。
お姉さんは、全く急いでいないが、全く無駄がない。
担当の者に連絡を取り、ただ自分の仕事を淡々と、しかも笑顔でこなしている。
こんな朝早い時間に、目の前にこんなにピリピリしている人間が立っているのに、顔色ひとつ変えず、姿勢良く、のんびりではなくゆっくり、余裕を見せながら働いている。
そのお姉さんが、それまでに出会ってきた誰よりも美しく、驚くことに、いつしかわたしのピリピリもどこかへ消えていた。
お姉さんの空気感が、わたしに伝染した。
お姉さんの方が強かった。
柔らかくて、しなやかで、丁寧で、強い。
今でも、そんな人他に出会ったことがない。
こうなりたい。こうなりたいなぁ。
今のわたしと正反対だ。
他人の気分を害する存在か、他人の気分をポジティブなものに変えてしまう存在か。

わたしとお姉さんの間で決定的に違うこと、それは「目の前に不快な人間がいるときに笑顔でいられるかそうでないか」だと思う。
お姉さんだって人間なので、目の前にしかめっ面でいられたら、嫌な気分になるだろう。
それを全く見せないところが違うのだ。
それは、強くないとできない。
わたしがお姉さんのような人間を目指すには、強くならないといけない。

でもなぁ、わたしはそんなスポ根みたいなのは向いていないので、どうしたものか。
確か、笑顔を作るだけで、気分も楽しくなってくることは科学的に証明されていた気がする。
具体的な行動案としては、「むかついたら表情筋を笑顔のところに動かす」とかだろうか。
そうしたら、お姉さんに近づけるだろうか。

わたしは、醜い。
だから、変われる。もう、伸び代しかないのだ。
ただ、結果を焦ってしまうのも、わたしの悪いところだ。
30歳をひとつの区切りにして、2年、やってみようかなぁ、笑顔。
きっと、すごく難しい。
うまくできないと思う。
でもこれで、目の前に死ぬほど不快な人が現れても、自分を変えるチャンスにできる。
嫌な人ほど、ありがたくなる。
できなかったら、今のままだときっと、自分はやっぱりできない奴だって、責めてしまうんだろう。
ああ、本当、課題だらけ、課題をこなすための課題が生まれまくるんだろう。
でも、目標を持とう。
わたしには、背中を見せないといけない、小さくて自分の命より大事な子がすぐそばにいる。

お姉さんは、目標に向かって、どう課題と向き合うだろうか。
できなくて落ち込んだときは、いつだってお姉さんを思い出そう。
そして、素敵なおばさんになろう。

あーつかれた

旦那さんが結婚指輪を外した。

昨日、わたしが「お世話になりました」と告げたからだろう。

本当、やっていけないと思った。

彼が悪いとかではなく、わたしが、彼とはやっていけないのだと。


その件で、お義父さんから連絡が来た。

言い合いになるたび、別れると言われるのが嫌だって言っていたよ。

なんて、知っている。

でもさ、もう話し合っていて、それしか解決策ないんじゃない?って、毎回思っている。

それでも、何かしらのきっかけで、毎回なんとか乗り越えられちゃってるだけで、結局ここに戻ってくる。


夫婦やってて壁にぶち当たるんじゃなくて、

壁にぶち当たるの方がデフォって感じだ。

壁から壁の間、もがいて、うかがって、光が見えて、急に上から壁が降ってくる。


わたしだってね、お世話になりました、なんて言いたくない。

しかし何を言っても、言葉が届いている気が1ミリもしないのである。

届く言葉を探しているうちに、行き着く先はいつも「さようなら」、こんなところまですごく簡単に到着してしまう。


あーほんとわたしはこの家に何のために存在しているんだろうな。

いる意味あるのか?離婚で良くない?

自分の金もなくてさー

主婦としてのポジションも、経験則で提案に言い返すと何も聞いてくれないとか言われてじゃあなんも手伝わねえっつって大変なときに携帯ぽちぽちでガン無視

あなたが仕事している間わたしがずっと子どもを見ているんだから、わたしの「こう思う」もっと尊重されて良くない?

なんで言い返すとお前はなんでも言い返すってなるんだよ、こっちからするとお前の方が見当違いだわ


っていうかラインで会話するのやめてくれない?

いつもラインだよね。

面と向かって話せねえのかよ。


って感じである。


あーあ。

あと何年、こんな地獄をさまようのだろう。


結婚って、子育てって、さすがにもう少し楽しいものだと思っていた。

いや、子育ては、息子といる時間は、すごく楽しい。

でも、他の時間で台無しである。


まぁいまは散々引きとめられても、このままじゃそのうち離婚だろうな。

毎日心を殺しながら生きろってか。


まぁこんな日もあった、という記録である。

なんだかんだ

今日は特に書きたいテーマはないなぁ。


今日は全体的にあんまりついてない日だった。

朝から鼻と喉の間の変なところが痛いし、食べ物を食べるとしみる…

頭痛もして体調も悪いけど、平日だし旦那さんは仕事だし息子は絶好調。

本当にしんどい滑り出しだった。


なんとか調子を取り戻しつつも、あまり無理をしたくないと思い、旦那さんにも承諾を得て夜ご飯は宅配でタイ料理を頼んだが、これが本当に失敗だった。

具、入ってる?みたいなトムヤムクンスープ。1700円…

プラスチック容器にしょぼい生春巻きがコロン…と3個。500円…


旦那さんが頑張って働いてくれた6000円分の時間を返してほしい。

少しは喜んでくれるかと思ったメニュー選択だったのに、隣で旦那さんの顔は完全に死んでいた。わたしの心も死んだ。


息子がやっと昼寝に入った後は、あーあ、わたしの人生って、なんなんだろうモードに入ってしまった。

毎日、家事して、息子に追われて、自分のことはなんにも進まないまま1日が終わる。なんなら家事も全然残ったまま終わる。

毎日、息子と一緒にいて、たくさん笑って、それだけで十分なはずなのに、どうしてこんなに心は曇ってしまうんだろう。

わたしは日々に何を求めているんだろうか。


毎日、何ができたら満足するのだろう。

そういえば妊娠中は、生まれるまで毎日歩いて100均とか雑貨屋とかに行って、部屋の改造をしたり、掃除をしたりするのがとても楽しかった。

毎日、自分も家もレベルアップしている感じが、とても爽快だった。

イベントの日は、料理に力を入れたり、飾り付けに勤しんだり、ああ〜本当に楽しかったなぁ。

旦那さんの帰りを、本当にわくわくしながら待っていた。


子育てが始まったら、全部なくなった。

というか、全部できなくなった。

家をレベルアップなんてしようものなら、息子が作業したそばから崩していくだろうし、まず作業を進めさせてくれないだろうし、息子が寝た後なんてもう余力はゼロだ。


日中は息子に両手を引かれながら息子の思うままに歩きまわるのをひたすら付いて行ったり、階段の下に連れて行けと言われれば抱っこして連れて行き、上るのを手伝い、乳をくれと言われれば出し、クレヨンを指差せばテーブルを片付けて紙をセットして座らせてわたしも一緒にお絵描き、外では石ころと砂とアリと芝生と一緒に全力で戯れ、指を口に突っ込む前に拭き取ったり抱っこしながら洗ったり全身脱がせてシャワーさせたり、なんというか我ながら本当良くやっていると思う。


ただ、楽しいのは確かだ。

息子となら何をしても楽しい。

疲れるけど、一緒にいるのが本当に楽しい。

隙があれば抱きつくし、毎日何かしら成長していて本当に感心する。

大好きでたまらなくて、すごくしあわせだ。


じゃあこのもやもやの正体は何なんだろうか。

受け身だから?

息子に対して、受け身だからだろうか。

しかし、息子が何をするにも、邪魔したくないし、全力でサポートしたい。

積極的に受け身なのだけれど…


あー

「自分のやりたいこと」がひとつもできないからだろうか。

そして、できる時間ができたとしても、たぶんやらない。

それほどに、今は疲れきってしまっている。

息子が寝たら、とにかくぼーっとしたい。

何も考えたくない。全てをストップしたい。

そして、何もできずに時間だけが過ぎ、息子が起きて、また1日が終わっていく。


うーん。

なんとも、すっきりするのが難しい。

なにかひとつ、自分だけが楽しみなことを見つけたいところだ。

それも、1ミリも努力せずにできること…

なんなら、楽しみすぎて、さあやろう!ってなるようなこと…


と、ここで思いつくまで考えるというのも非効率的だし消耗するだけなので、今回はひとつ、探し物の定義が明確になったということでよしとしよう。


明日から、息子が昼寝をしたら、なんかやりたいことないかなー、と1回考えてみよう。

別に出てこなくてもいいから、ひとまず毎日やってみよう。

もしかしたら、そのうち何か出てくるかもしれない。


今日はしんどかったけど、なんとか乗りきれてよかった。

明日からも、なんだかんだいい日にしよう。

息子の成長が寂しい

昨日の記事、メモ帳に書いたものを貼り付けたら、文字サイズがかなり大きくなってしまった。

今日からは別に消えてもいいから直書きしよう。


今日から自分の生活に昼寝がなくなった。

息子が生まれてから、毎日一緒に昼寝をしていたのだが、ここ最近、一緒に寝てしまうと、息子が寝すぎてしまうみたいだ。

息子の睡眠が狂いまくってしまっているので、止むを得ず、フリータイムを満喫している。

本当はここで家事のひとつでも片付けたいところではあるが、まだ初日、まずは起きていることから始めないとハードルが高い。


あんなにも欲しがっていた自分のひとり時間、こうしてブログを書くこともできる。

しかし、いざ手にしてみると、想像もしなかった感情が生まれるものだ。

寂しい。

あまりの寂しさに、わたしが日々どれだけ息子の隣で眠りにつくことを楽しみにしていたのかをまざまざと感じている。

そりゃ、息子も寝すぎてしまうわけだ。

母親が、今が一番すてきな眠りの時間よ、と誘導してしまっていたのだから。


思い起こせば、息子がまだ生後数ヶ月の頃、昼間は本当に寝てくれなかった。

そのうち、唯一わたしとべったりくっついてビーズクッションの上でのみ、数時間寝てくれることが判明し、そこからしばらくそれが日課になった。

そろそろお布団で寝ることを覚えてもらわないとな…となったときも、寂しかったことを覚えている。

でも、その頃はまだ一緒に寝られた。

かわいい寝顔を、すぐ隣で、たまに匂いを嗅ぎながら、見ていられたし、そのまましあわせな眠りにつけたのだ。

今はそれもなくなり、別室で過ごしている。

リビングでちょこんとひとり眠る姿を見て、つい泣いてしまった。

こんなことで泣くなんてと自分でも思うが、自分が思っていた以上に、本当に大切な時間だったのだ。


子どもの成長は、嬉しくて、とても寂しい。

これから何回、こういう気持ちになるのだろう。

今日は寝過ぎないで起きてくれるだろうか。

そして夜、ぐっすり寝てくれるだろうか。

あなたが健やかに過ごせるなら、わたしはいくらでも涙を流そうと思う。

自由になるほど寂しい、子育てとは本当に不思議なものである。