もすもす日和

思ったことを思ったままに綴るだけのブログ。

こどもでありたいのであった

アイマスクのつけ方が下手だったようで、耳が痛くなって起きた。

朝の光が眩しくて、アイマスクがないと眠れないので、二度寝できない。

一度光を目に入れてしまうと、その後すぐ寝られない。寝れても、質が悪くて、気持ち悪くなる。

でも睡眠時間は足りていないので、旦那さんが会社に行ってからもう一度寝よう。


昨日、というか今日の夜中、わたしはこどもだ。心の自立ができていない、と言った。


それは、違ったんじゃないか?と、一晩明けて思う。


こどもは、好きなときに走り出す。

見たいものを見て、食べたいものを食べて、眠いときに寝る。

それが、当たり前だと思っている。

それが当たり前じゃなくなったのは、「我慢しなさい」を覚えたからだ。


我慢すると、

本当はこうしたいのに、本当はこう思ったのに、が残る。

だから、卑屈になるのだ。

本当のわたしを知らないくせに、が、簡単に出てくる。

八つ当たりだ。


わたしは旦那さんに何か言われて、思ったことがあったときも、一旦無言で受け入れてなかっただろうか。

「自分」を放棄して、思考を停止して、言いなりになってなかっただろうか。

だから、後から後から出てくるのである。

「本当はこうした方がいいと思ってた。」


こどもは主張する。

それが当たり前だからだ。

一旦飲み込むとか、しない。

大人になるにつれて、「そこはぐっとこらえて」なんて言われてきたし、それが「大人」何だと思っていた。

ぐっとこらえる、が必要な場所でなんか生きたくない。

ぐっとこらえなければならない相手となんて、付き合いたくない。

慣れてくると、必要がないところでも、勝手にぐっとこらえてしまう。

わたしは、旦那さん相手に、ぐっとこらえたことはなかっただろうか。


歳を重ねるにつれて、心の自立を図ることは難しくなっていくのだろうか。

不思議だ。

というか、そもそも図るものではないのだ。

そこに在るもののはずなのに。


ただ、「我慢する」をしてきたことは、無駄ではないと思っている。

物が欲しいけどお金がないときに、我慢しないで物だけ取っていくような人間にならなくてよかったと思っている。

でも、もう分かっているから、いい。

「躾」はしてもらった。


こどもでいていい。こどもでいたいのだ。

もちろん、揶揄的な表現であるし、

全てのこどもが、そうであると言っているわけでもないし、本当に5歳児のように振る舞うつもりでもない。

わたしはいくつになっても、存在が当たり前、思ったことは思って当たり前、感じたことは感じて当たり前、言いたくなったことは言って当たり前なのだ。


決めよう。

わたしはこどもだ。

26歳なんだけど、ずっとこどもだ。

なんだか一見甘ったれな響きだが、いまはそれでいい。

もう、そう決めたのだ。だから、そうする。


するったら、する。