わたしは
やっと風呂に入った。
ところで、わたしは26歳である。
さっきまで、玄関前のフローリングで、
髪も服も濡れたまま、丸まって寝転んでいた。
それで泣いていた。
寒いのに、風呂に入りに行けなかった。
妹とラインして、なんとか自分の「寒い」に向き合えた。
わたしは、すぐに答えを欲しがる。
今から、明日から、どうしよう。
答えが出ないと、動けない。ずっと苦しい。
旦那さんは、わたしと仲直りしようとしてくれた。
でもわたしは、自分の中で答えが出ていなかったので、仲直りを拒否した。
突き放した。一緒にいたくないと言った。
わたしが家に帰っても、旦那さんはなるべくわたしの目につかないように振る舞った。
一緒にいないようにしてくれた。
そのことが、わたしの家じゃないように感じさせた。
外にいる方が落ち着いた。
雨の中、玄関の外にずっといた。
インターホンで、旦那さんにそろそろ家に入れと言われた。
他の場所に行く気力もなかったので、家に入った。
でもまだ答えは出ていない。
自分がどうしたら納得するのか分からない。
子どもだな、と思っている。
ほっといてくれと突き放して、
時間が経ってから、自分のちょうどいいときに、迎えを待っている。
迎えに来られないと、あーついに見放されたんだな、でも先に見放したのわたしだわ。となって、その状況にどうしようもなく嫌になって、駄々っ子のように泣く。
今日は、旦那さんの睡眠を邪魔しないように、ラインを送るのをやめた。
迎えに来てもらうのをやめられたから、それは少し良かったと思っている。
自立していないんだ、と思った。
それは、お金を稼いでいるとか、生活能力があるということではなくて、
自分の心の安定のことである。
誰かが慰めてくれるまで、
誰かが庇ってくれるまで、
誰かが分かってくれるまで、
あ、やばい、のぼせてきた
風呂から出た
人間ってこんなに雑に自分の体を洗えるんだなと思った
その雑さで、自分の気力のなさを知った。
スプレー型の化粧水を、
自分の顔の前に構えて、
自分の顔と反対の向きにスプレーした。
鏡が潤った。
生きる意味は
生きることだ。
わたしは、生きているだけで、素晴らしい。
生活能力があることより
お金を稼ぐことより
自分が生きることを当たり前にすることが、自立だ。
わたしは、生きてていい。
理由とか考えとかともかく、生きてていいのだ。
答えはいい。もうとにかくいまはいい。
とりあえず、生きているだけでいい。