もすもす日和

思ったことを思ったままに綴るだけのブログ。

わたしの母

今週のお題「おかあさん」


わたしの母親は、とってもかわいらしい。

小柄で、けっこうぼけっとしてて、

娘の恋愛話を聞くのと、

自分ののろけ話をするのが好きだ。


料理はそんなに好きではないらしいが、

わたしがまだ実家にいて働いていた頃、

よくにんにくたっぷりの料理を作ってくれていた。

わたしは焼き鳥を買うときに雛にんにくをよく選ぶ。

にんにくをまるごと電子レンジでチンして、塩をつけて食べる。

それくらいにはにんにくが好きなので、

疲れた体にありがたかったし、とてもおいしかった。


お気に入りの靴下に穴が開いたら縫ってくれた。

帰りが遅くなっても、ある程度(といってもけっこう遅くまで)起きて待っていてくれた。

家を出るときは、いつも玄関まで見送りに来てくれて、

タイミング的にすぐに来ないときは、

玄関から大声で「ママーッ!もう出ちゃうからねーーー」と呼んだ。

そして、行ってきますのハグをしてから家を出るのであった。


しかし、わたしは母親とずっと仲が円満だったわけではない。

アメリカで大学受験の受験勉強をしていたときは、とにかく仲が荒れていた。

母は心配性なので、何度も「受験」と言った。

わたしは、受動的にひとつのことに縛られることが大嫌いなので、毎日嫌悪感のダムが崩壊していた。

ほっといてと叫んだこともあった。

家出も何回かした。


同時に、母親に反発する自分にもどんどん嫌気がさしてきて、そのうち自分が存在する意味がわからなくなっていった。

母親にあんな顔を、あんな思いをさせるなんて、なんてひどい娘なんだろう。

親は娘がかわいいはずなのに、どうしてこんなに苦しくさせてくるのだろう。

父と母と妹の笑い声が自分の部屋の外から聞こえると、わたしはいなくていい存在なんだと思うようになっていった。

わたしがいなければ、わたしがこんなに思い悩むことも、まわりを戸惑わせることも不快にさせることもない。


わたしはハサミを持ち出して、

刃の部分を手首に当てた。


でも、その先は何もできなかった。

痛いのは嫌だ。痛いのは怖い。

痛くない方法で消えたい。消えたい。消えたい。

家族の笑い声に隠れて、か細い泣き声が、わたしの耳にだけ重なって聞こえた。


アメリカの高校を卒業し、

大学受験のために一足先にわたしだけひとりで日本に帰国した。

家族が帰国するまで、いとこの家に居候させてもらうことになり、叔母が空港まで迎えに来てくれた。

居候させてもらっている間、たぶん母の話をしたのか、それとも母が帰国して、わたしが再会したときの態度を見てなのか、

「敵意剥き出しって感じでびっくりしたわ」と後日叔母に言われたことを覚えている。


大学に入学し、母とわたしの関係、というよりもわたしの母に対する態度も、少しずつ落ち着いていったと思う。

それでも、意見の食い違いは多発した。

お互いに泣いた日もあった。

わたしと母は、「合わない」んだと思った。

家族も小さな社会だもんな、合わない人がいても普通だな、と思って過ごしていた。

少し、寂しくもあったが、見ないふりをした。


時はただただ流れ、

大学を卒業、就職、転職、いろんなことがあった。

思い悩みながら、わたしは本やブログを読んだりして、いろんな考えに触れながら、少しずつ、自分が存在しているだけで価値があるということを知っていった。

わたしは母に愛され、家族に愛されていた。

それまでそうじゃなかったというわけではない。

それまでも愛されていたが、その大前提をずっと疑っていた。

受験勉強をYESマンでできない自分は愛されない。という考え方から、自分は愛されているけど受験勉強はただ嫌なの。と気づいて、離れることができた。

愛されないことが怖くて、ヒステリックになっていた。

そんな自分と少しずつお別れするきっかけになった本については、また今度どこかで紹介しようと思う。


だから、母には、ごめんなさいと思っている。

母を悲しませたのは、母の期待に応えられないことじゃない。

期待に応えられない自分を擁護するためだけに発した、刺々しい言葉である。

わたしをそんな風に育てたのだと、責任をなすりつけるような言葉である。

母は、ちょっぴり、けっこう、まぁまぁ不器用だ。

その不器用さを批判した言葉と態度である。

母を、悪者にしたり、毛嫌いするような態度をとったりすることである。

わたしは、ずっと母が大好きだった。

母も、ずっとわたしが大好きだというのに、

なんとも派手にすれ違ってしまったものである。

しかもその間も、ずっとずっと、ご飯を作ってくれた。学校や塾まで送り迎えしてくれた。

これから、埋められるだろうか。

その穴を、埋め尽くして山になってしまうくらいに、母をしあわせにできるだろうか。

勿論、わたしがわたしとして、精一杯生きてである。


そのうちわたしは同棲して、母と、家族と、離れて暮らし始めた。

婚約して、結婚して、まだ子どもはいないが、「妻」という立場になった。

わたしは母を思い出しながら、ごはんを作って、旦那さんの帰りを待つ。

自分は、旦那さんみたいに働きに出てお金を稼いでいるわけではない。

でも、働きに出てお金を稼いでいたことはある。

家に帰ると、ごはんのにおいと、おかえりの声がする。

スイッチがOFFになる。

母の誕生日には、自分の稼いだお金で、ちょっといいものをプレゼントする。

母はわたしにとって、そういう人だ。

安心をくれて、喜ばせたい、大事にしたいと思える人だ。

ありがとうが、溢れて止まらない人だ。

わたしは、旦那さんにとって、そういう人になれるだろうか。

母みたいに、家庭のお日様になれるだろうか。


今日は旦那さんの帰りは遅そうだ。

服の整理でもして、「おかえり」までの時間を生きよう。