自己紹介②
今たまたま気づいたのだが、はてなブログの今週のお題は「自己紹介」のようだ。
これも何かの縁なのかもしれない。
前回の続きを書こうと思う。
わたしが現在、人生の休憩時間に辿りつくまでの思い出を綴っている。
ここでは、大学入学後から書き始める。
大学ではとにかく「自由な大学生」を実行した。
授業はめちゃくちゃサボった。
アカペラサークルに参加していたので、サボっている間カラオケに行くか、
サークルの友だちとお茶をするか、部室でだらだらしていた。
出席が必要な授業は、席について、ポケット六法を目の前に置いて、
その上にもこもこした上着を乗せ、枕にして机に突っ伏して寝ていた。
夏になったら、リュックに頭を乗せて寝ていた。
そのうち、何かに頭を乗せなくても、椅子にもたれたまま寝る術を身に着けた。
法律に微塵も興味はなかった。
サークルの集まりにバッチリ化粧をしてお洒落をして行くことばかりに一生懸命だった。
歌うことが好きだったので、サークルの活動は、歌うことが楽しかった。
しかし、人間関係には疲れていた。
この疲弊は卒業してからもしばらく続いていくことになる。
そうこうしているうちに、留年した。大学3年生に進級できなかった。
ネットで確認して、自分の学生番号がなかったとき、信じられなかった。
片道1時間半かかる通学も、そのときばかりは面倒と感じる余地もなかった。
授業もない日なのに、寝癖をつけたまま、すっぴんで、パジャマのような格好で、
心臓の音と電車の音だけを聞きながら、大学の掲示板を目指した。
掲示板の前に立った数十分後、
わたしはなぜか同じサークルで同じ学部の同期をカフェに呼び出し、
無言の時間を過ごした。
ひとりでいられなかったのかもしれない。
特に大した会話も収穫もなく別れ、校内の池のベンチに座り、親にメールを入れた。
留年したことと、家に帰れないことだけを伝え、携帯をその辺に放り投げ、
ただうずくまって泣いた。
わたしは、一生懸命遊んだだけなのだ。
高校時代に自由にできなかった分、遊べなかった分、
取り戻すように、必死に遊んで、サボって、だらしなく過ごしていただけなのである。
そうしたら、この講義の単位さえ落とさなければ進級できると思っていた講義が、
進級に必要な条件を満たす講義ではなかったという凡ミスをおかしてしまった。
そもそも、そんなぎりぎりな状態に陥っていたのがだめだった。
でも、そうしたら、遊べなかったじゃないか!
とにかく、もう家には帰れない。家族に顔を合わせられない。ホームレスだ。
脳内が錯乱状態にあっても、家族からの返事を見ようと思った。
メールが数件、着信も数件、留守電も数件、
挙句の果てには、香港に単身赴任していた父からの国際電話の留守電も入っていた。
わたしは家に帰って泣いた。怒られなかった。
後日、わたしは法学部から社会学部に転学部した。
法律の勉強はしたくなかった。
もっと、人間の感情とか、在り方とか、カテゴライズされにくい、
曖昧なものについて興味があった。
わたしの、成績はぎりぎりに保ちながら、遊ぶことを第一に考えるスタイルは、
大学生活5年間、卒業までずっと続いていくのだが、
大学3年生から参加するゼミナールだけは、一生ものになった。
学部ごとに所属できるゼミナールが異なるので、
転学部したことだけは、自分の学生生活の中で唯一ほめたたえたいことである。
卒業して、就職した。
まわりが大学3年の3月~大学4年の4月頃から内定をもらい始める中、
わたしは9月中旬にやっと内定をもらった。
就職活動は、何が何だかよく分からなかった。
別に働きたくなかった。人生でやりたいこと?子どもを育てたい。という感じだった。
大きい企業は行きたくない。歯車になるから。
英語は別に使いたくない。結果的に使うことになるのは別にいいけど。
でも大学が大学だから、上場企業の総合職の正社員がいいんだろうな。
いろんな思いを抱えながら、
話せることを話して、やれることをやって、よく分からないまま内定をもらった。
泊まりがけの新人研修で、ひたすら挨拶の訓練をして、泣いた。
最後に今後の目標を決めるとき、上司に「『謙虚』がいいんじゃない?」と言われ、
それまで書いていたものを白紙にして、笑顔で「謙虚になります!」と発表した。
家に帰ってからも泣いた。
出社する前、家を出るとき、駅のホームで、電車の中で、泣いた。
仕事中は、「謙虚」がすべてだった。
不自然なほどの低姿勢は、職場の雰囲気を悪くした。
5月末、退職した。
9月、転職先にて働き始めた。
とにかく、自分の負担が軽くなるような、簡単な仕事がしたくて、
中小メーカーの営業事務になった。
毎朝の掃除、お茶汲み、トイレ掃除、雑巾の洗濯、同じ席での食事、
お局たちの同じような芸能界の噂話、たばこの煙。
仕事を覚えても、いまある仕事をこなすのが上手になるだけ。
前ほど無理せず働けるようになった分、狭苦しい世界が視界に入ってきて、
飛び出したくなった。
同時に、わたしは何がしたいんだ?と自問自答の毎日を送った。
そんな最中、家でFacebookを流し見していたら、
システムエンジニアにならないか?という広告が目に入った。
将来在宅を目指せる。子どもと一緒にいながら働ける。
専門的な職種。自分で自分の武器が持てる。
これだと思った。入社した翌年の7月に退職した。
システムエンジニアのスクールに3ヶ月通い、
その後就職活動を経て12月に入社した。
新しいことを学ぶことは楽しかった。
しかし研修期間が終わると、急にお客様先に常駐になった。
そんな話、聞いていない。
技術もないままお客様先に行き、チームリーダーの補佐として、
事務仕事をこなす日々が続いた。わたしは事務員か?と毎日思っていた。
このとき、25歳である。
この会社でのある出会いが、わたしの人生を大きく変えることになり、
いまこのブログを書き始めるまでに至る。
次に続く。