もすもす日和

思ったことを思ったままに綴るだけのブログ。

家族感

先日、旦那さんに急に聞かれたことがある。

「もすは、俺といて家族感ある?」

 

旦那さんと出会ったのは去年の3月。

その後6月に交際開始、9月に同棲開始と婚約、11月に入籍。

交際開始してから数えてもまだ1年に満たない、スピード婚である。

 

「家族感というより、夫婦感じゃない?」とわたしは答えた。

 

すると旦那さんは、つーんと拗ねた顔をした。

なぜ?夫婦感じゃだめだったか?逆に聞き返してみた。

「旦那さんは、家族感あるの?」

拗ねた顔のまま、首を1回縦に振った。

 

え~~~~~結婚5ヶ月だよ?無理なくない?新婚of新婚だよ?

わたしが知っている「家族感」は、

わたしが生まれ育った実家の感じだったのだが、

それとは圧倒的に異なるものを感じている。

まず自分が生まれ育った家族の中に恋愛対象になる者はいない。以上だ。

だがそれは、旦那さんにとっても同じことである。

 

よってそれとは別の、新しい「家族感」ということであれば、

わたしはまだそれを見つけていない。

夫婦感だ。まだ全然夫婦感の域を超えていない。

服をいろんなところに脱ぎ捨てたり、1日中モンハンしているところを見て、

世間の奥様方が自分の旦那さんのことを「大きい息子」と揶揄する雰囲気は、

理解できなくもない。そういうことなのか?

つまり旦那さんは、わたしを「大きい娘」風に見ていて、

そのことを家族感と呼んでいるのだろうか?

あながち間違いではないかもしれない…

しかし、だとすれば、「家族感ではない」と言われて、拗ねる要素がない。

むしろ、「家族感がある」と言われたわたしが拗ねる案件ではないか。

大きな娘だなんて。失礼な。

 

しかし、やっぱり、あながち間違いではないかもしれない。

要は、「存在をまるごと受けとめているか?」ということなのだろうか。

 

カップルというのは、

「あの人のこういうところが嫌だ。」

「あの人のああいうところ、合わない。」

という理由で、破局できるものだ。

それは別に夫婦でも、多少事が大きくはなるが、「離婚」という形で可能だ。

しかし、まず、

「あの人のこういうところが嫌だ。」

「あの人のああいうところ、合わない。」

「でも、一緒にいたい」

という過程を一通り乗り越えて、夫婦になる。

 

わたしたちはスピード婚だったので、

ある程度の交際期間を経てから結婚した人より、「見定め期間」が短い。

それは結婚前、父親にも散々心配されたことだ。

ただ、見定める必要を感じなかった。

それくらい、旦那さんが最初から大好きだった。

理屈じゃなく、もうとにかく旦那さんしかいなかったのである。

 

しかし、かといって、

「こういうところがな~」と思う過程を全部すっ飛ばせるかといったら、

人間そんな都合よくできていない。

旦那さんは言い方がきつい。すぐ嫌味っぽくなる。

全体的にスピードが速いし早い。

頑固。

もー!と、よく思うし、よく喧嘩する。

結婚してから、後追いで「もー!(怒)」となっているので、

1回1回がまだ若く激しい。

 

そうか。その「激しさ」がポイントなのかもしれない。

家族になると、

「ほんとそういうところある(諦)」みたいなテンションで

大体のことが済んでいそうだが、

わたしは済んでいない。

かなり極限まで感情が大洪水を起こす。

カップルだったら、毎回、

「もうこれ別れるんじゃね?」とまわりから言われそうなくらい、荒れる。

もしかしたら、こういうところから、

旦那さんにああいう質問をしてみようと思わせたのかもしれない。

 

だとすれば、旦那さんは多少不安だったのだろう。申し訳ない。

旦那さんが、わたしの悪いところを、

「なんでそんななの?」と言ったこと、

あっただろうか?

責めたこと、あっただろうか?

旦那さんは、純粋に、わたしと一緒にいることそのことだけを、

大事に大事にしてくれている。

 

「わたしだったら、そんな言い方しないのに。」

「早いよ~わたしそんなに早く動きたくない。」

「もうちょっと、わたしの話を受け止めてから話を進めてくれてもいいのに。」

ぜーーーーーんぶ「わたし」である。わたしわたしわたし。たわし。

しかも大体全部心の声だ。

 

そういうきっかけでムスっとして、どんどん深みにはまっていって、

あなたは誰と結婚したんだい?と問いかけたくなるな。

 

そんなに文句を言うなら、お別れするかい?

答えはNOである。NOでしかない。NOより強いNOである。

嫌味っぽくない、やさしい~~~旦那さんなんて、旦那さんじゃない。

「はよしろ」って言ってこない旦那さんなんて、旦那さんじゃない。

強めの「だから」で反論してこない旦那さんなんて、旦那さんじゃない。

全部、分かっているのだ。

だから、わたしは旦那さんのそういうところを、「嫌い」と言わない。

嫌いじゃないから。

大好きだから。

 

なんだ、家族感、あったな~。

しかし、家族感を、「できていない」ことも分かった。

 

安心したと同時に、衝動的に逆上するのを辞めたいと切に思う。

だって、意味がないのだ。何に怒っているんだ?

 

ふと、自分が旦那さんに「わたしは大事にされていない」と

たまに漏らすことを思い出した。

自分だったらしないような言い方が、

自分に合わせようとしてくれない勝手さが、

一度も同意を挟んでくれない姿勢が、

その「大事にされていない」を助長してきたのだ。

なんて浅はかで身勝手な受け取り方なんだろう。

旦那さんは、ただ旦那さんでいただけなのに、なんて暴力的なのだろう。

わたしが、最大限にわたしでいられていることに、なぜ気づかなかったのだろう。

とにかく自分の至らなさに驚いている。

驚愕に時間と心が奪われすぎて、かれこれ30分くらい、

洗濯が終わった洗濯物を洗濯機に置き去りにしている。

 

旦那さんが拗ねた理由が分かった。

わたしが言った(繰り返すが、「わたしが言った」)

「夫婦感♡」は、安直なラブラブ感の域に留まり、

「ふたり」に聞こえて「ひとり」だ。

ひとりひとりの一方的な「好き」の関係だ。

旦那さんが言った「家族感」は、「ふたり」だ。

ひとりひとりの一方的な「好き」は越えて、一緒に「好き」なのだ。

うまく言えないが、ひとりひとりの「好き」は、

ゆくゆく「ふたり」を作っていくが、

家族になったら、

ふたりの「好き」の土台に、

これからたくさんたくさん築いていくのだ。

結婚は、その土台が完成しました、ということなのかもしれない。

 

そう、土台は完成しているはずなのだ。

わたしはひとりではない。

わたしはいつまでも相手の愛を疑って拗ね拗ねしている場合ではないのである。

そう、今書いていて思ったが、疑っていたのだ。

それは、旦那さんが嘘をついているとか、そういうことではなく、

自分に自信がないのだ。

「あっいまあんな言い方された。好かれていない。」と、

盲目的に自信を無くしていく思考ルートが脳内を牛耳っているのである。

また、この結論に辿りついてしまった。

わたしはたったひとつこの思考ルートだけ治せば、

スーパーサイヤ人になれる気すらしてくる。

 

疑いは怒りという確認行為になる。

「ひとり」に閉じこもっちゃだめだ。

「ふたり」なのだ。

 

と、ここまで考えを進めてみたものの、

てんで的外れだったらどうしようか。

今夜、旦那さんに「旦那さんが言う『家族感』ってどんなの?」と、

答え合わせをしてもらおうと思う。

そして、スーパーサイヤ人になる訓練をしようと、ここに誓う。