もすもす日和

思ったことを思ったままに綴るだけのブログ。

自己紹介

26歳、わたしはいま、人生の休憩時間にいる。

 

何か特別すごいことを成し遂げてきたわけではない。

しかし、今まではとにかく全力だったのである。

休んでいるときですら、わたしはいま休んでいるのだと、

あれこれこういう理由で、全力で休んでいるのだと、

自分を休ませるという試練に挑むほどであった。

 

この記事から3回に渡り、現在の休憩時間に至るまでと、

このブログを書き始めようと思った経緯を綴っていく。

長くなるが、興味がある人、暇な人、

人生に悩んでいる人は読み進めてみてほしい。

 

わたしは、ずっといい子だった。

字がきれいね、と言われた。

体が疲れても、姿勢を伸ばして座り続けた。

自分より目上の人の、偉い人の、期待に応えたかった。

 

小学生の頃、少し崩れた文字にあこがれたことがあって、

日記の文字を少し雑に書いて提出したことがあった。

後日帰ってきた日記のコメントにて、担任の先生から

「字が変わってしまいましたね。どうしたの?もったいないです。」と言われ

次の日からいつものきれいな字に戻した。

 

わたしは、偉い人の期待に応えるのが下手だった。

小学校の学芸会で主役の座を演じたものの、本番、ソロで歌うシーンで、

「声が裏返ったらどうしよう」「失敗したらどうしよう」という気持ちから、

1オクターブ下で歌った。

輝かしい正義の味方の役のはずなのに、地底から響いているような低さだった。

生徒会役員になり、挨拶の文面を先生と一緒に考え、暗記したのに、

挨拶の本番、自分の番が回ってくると、すべて忘れた。

どちらも、終わった後、先生の顔が見れなかった。

 

中学1年生の夏休み、わたしは新しくできた中学の友人に別れを告げ、

アメリカのロスアンゼルスへ渡った。父の仕事の都合である。

間もなく現地での学生生活が始まり、

非常ベルのようにジリリと鳴り響くチャイム、授業ごとに異なる教室、

辞書のように分厚くて重い教科書、パサパサかオイリーな食べ物が配膳される食堂、

ここは日本ではないのだと、毎日思い知らされた。

幼少期にも同じようにオーストラリアのシドニーに在住したため、

多少英語はできたものの、中学高校レベルの会話をしてきたわけではない。

毎日、毎日疲弊した。

 

日本でいう高校1年生になると、

帰国子女受験の準備として予備校に通い始めた。

わたしはその校舎で一番偉そうな予備校講師が大嫌いだった。

ある理由から、教室内の机を教室外に移動させなければならなかったとき、

わたしは「えーめんどくさーい」と言った。

するとその講師は、「机を運ぶくらいのことが面倒なら死ね」と言った。

ある日の授業で、わたしとその講師がマンツーマンになったことがあり、

「お前は将来弁護士になれ」と言われ、

泣きながら「お前に将来を決められたくない」と言った。

 

しかし、その講師は、偉い人だった。

言葉では歯向かったが、認められたかった。

 

平日は現地の高校から帰ってから予備校に行くまでの時間に

単語を500個近く覚えた。

当日のテストのためだ。その範囲から100問出題される。

毎回満点を取った。

休んだ日の分と合わせてテストを2回分解いたときも、どちらも満点を取った。

帰ってから、高校の宿題をやった。

土曜日も予備校があった。

 

自由に会話ができない環境で、課題とテストだけで良い成績をとり続けた。

単語も意地で覚えた。試験の成績もどんどん上がっていった。

でも、休みたかった。

だらけていたら、遊んでいたら、母に受験と言われた。

3回家出をした。

居場所がなかった。

酷いことを言ってくるくせに、成績があがっても褒めすらしないのに、

期待ばかりしてくる予備校講師、監視されている気分にしてくる母親、

言葉の伝わらない友だち。

あがっていく成績だけが、わたしの価値だった。

 

数年が経ち、大学受験のために日本へ帰国した。

私大の帰国子女枠の受験日まで期間があったため、また予備校に通った。

幸い、そこでは、個性豊かな講師と多様な国からの受験仲間に恵まれて、

唯一楽しい受験期間となった。

そのため、私大受験が終わり、行ける大学が確定しても、

国立大まで受験勉強を続けることにした。

私大の帰国枠は9月頃の受験が多く、国立大は一般と同じ2月頃が多い。

こうしてわたしは晴れて、一橋大学法学部に合格し、入学することになる。

 

わたしは、母が常日頃口にしていた言葉を思い出した。

「大学に入ったら、好きなことをしていいから。たくさん遊んでいいから。」

 

こうして、わたしの価値は、成績から解き放たれることになるのだが、

18歳、ここからの人生もまた、全力なのである。

次回に続く。